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『ミセス』()は、文化出版局(学校法人文化学園)が発売している日本の婦人向けファッション・ハイライフ・ハイカルチャー雑誌である〔''ミセス''、国立国会図書館、2012年6月30日閲覧。〕〔''ミセス''、国立情報学研究所、2012年6月30日閲覧。〕〔''ミセス''、文化出版局、2012年6月30日閲覧。〕〔''ミセス''、''magazine-data.com'', 2012年6月30日閲覧。〕。 1961年(昭和36年)9月創刊〔〔〔〔。 == 略歴・概要 == 今井田勲が局長を務める「文化服装学院出版局」が、1961年(昭和36年)9月に創刊した婦人雑誌である〔〔〔合祀者名簿 、日本出版クラブ、2012年6月30日閲覧。〕。「戦前の四大婦人雑誌」とされた『主婦の友』『婦人公論』『婦人画報』『婦人倶楽部』、「戦後の四大婦人雑誌」として第二次世界大戦後に創刊された『主婦と生活』『婦人生活』に比して、鎌倉書房の『マダム』(1964年)、グラフ社の『マイライフ』(1966年)ほどではないが、15年近く後発であった〔女性雑誌『VERY』にみる幸福な専業主婦像 、石崎裕子、国立女性教育会館、2012年6月30日閲覧。〕〔戦前期四大婦人雑誌目次集成 全36巻 、ゆまに書房、2012年6月30日閲覧。〕。 同年同月に発売された創刊号である第1号(第1巻第1号)は、「10月号」とされ、創刊当時は『装苑』の増刊号として「装苑編集」と副題されていた〔〔ミセス 1961年10月号 NO.1 創刊号 、モダン・クラシック、、2012年6月30日閲覧。〕。当初の同誌の対象読者は、独身者を含めた30代女性で、同誌の登場は、20代を対象としていたファッション誌であった『装苑』に比して、30代においてはライフスタイルが変容することに対応したものである〔。創刊号の表紙モデルは、当時満27歳の女優池内淳子であったが〔、池内は1958年(昭和33年)に離婚していた。 1964年(昭和39年)には、副題から「装苑編集」の文字を取り払い、「奥さまの雑誌」とした〔。1966年(昭和41年)6月には、季刊『ミセスの子ども服』が創刊(夏号)され、同季刊誌は1981年(昭和56年)には休刊した〔ミセスの子ども服 、国立情報学研究所、2012年6月30日閲覧。〕。 1970年(昭和45年)7月に発売された8月号(通巻119号)からは、販元の名称が「文化服装学院出版局」から「文化出版局」(現行)に変更されている〔。1978年(昭和53年)4月には、季刊『ミセスのスタイルブック』が創刊(春号)され、同季刊誌は2012年(平成24年)6月現在も刊行中である〔ミセスのスタイルブック 、国立情報学研究所、2012年6月30日閲覧。〕。 1982年(昭和57年)5月には、さらに高い年齢層に向けた季刊『ハイミセス』が創刊(第1号)され、同季刊誌は1986年(昭和61年)5月に発行された第15号から隔月刊となり、1996年(平成8年)1月に発行された第78号を最後に誌名を『ミマン』と変更している〔ハイミセス 、国立情報学研究所、2012年6月30日閲覧。〕。 1989年(平成元年)6月24日、創刊者の今井田勲が死去した〔。 2003年(平成15年)5月には、のちに月刊化した『ミマン』が141号をもって休刊〔ミマン 、国立情報学研究所、2012年6月30日閲覧。〕、2010年(平成22年)2月27日には、1960年(昭和35年)創刊の『ハイファッション』が4月号をもって休刊したが、『ミセス』は2012年(平成24年)現在も発売している〔〔。 現在の同誌のターゲットは、40~50代の既婚女性がメインで〔、この世代向けの雑誌のなかでも、モード界の最新トレンド情報に強いのが特徴といえる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミセス (雑誌)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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